2011年、総括

2011年を振り返ってみると、
いつも当たり前のようにあった、日常があの3.11東日本大震災によって奪われた。
岩手から茨城まで三つのプレートの連動による大地震で起きた津波は自分が思うよりも大きく、破滅的な破壊力で、住んでいた街を襲った。
沿岸部にあった持ち家、曾祖父さんの代から続く自営の工場が被災。
家の家財にお気に入りの車達は流され、
友達、知人、親戚が亡くなった
何度これが夢であって欲しいと思ったものか。
これを思うと涙が出る。

東日本大震災でみんなにどれだけ心配をしてもらった。心配ありがとうございます。
あんずちゃんが、まっさきに身一つで家の片付けに駆けつけてもらった、
そして、wak君、TETUさん、イガラシさん、ヒデさんがスコップをもって家に駆けつけてくれた。
みんなに塩分を含んだヘドロと瓦礫をかき分けて、家の掃除をしてもらった。
ナカガワくんに、ヘドロの中から出てきた唯一生き残ったロードバイク(TIME)をガソリンが手に入りにくい、状況でベルエキまで運んで貰い。
それをヨコちゃんが分解して掃除をしてまた乗れるように整備をしてくれた。
ここに書ききれない位のみんなに手助けをしてもらいました。

四月には、工場も被災していて、人を雇っていける能力が無い会社になってしまったから
リストラはやりたくなかったが社員をリストラして会社を再編し、県北部の元請の工場を一部間借りをする形で、
必要最上限、手元に残ったわずかな生き残った機械で仕事を再開。
今、思えば、手に職をつけていたらこそ、道具を揃えれば、なんとか仕事を再開が出来たのだろう。
それに、長年の元請とのと信頼関係もあったからこそだ。
自分の身一つでもお金を稼げる仕事をしていたのが運がよかったのかも
普通にサラリーマンだったら、破産をしていたかもね。

5月に、中古だけど会社の機械を購入、もちろん自分の貯金取り崩して
6月には仙台市に仮住まいを移し、
7月には、被災した持ち家を解体。
7月頃から、ロードの練習に復帰、精神的なものか、全く体に力が入らなかった。
8月から、住宅の再建するために動きだして、
9月そろそろ地元の復興計画が出るかと思えば、まったく決まってないし
10月に、実業団レースでは無いが、地元のSUGO耐久七時間ソロに出て優勝。
11月、特になかった
12月に、工場の修理を徐々に開始、地元の亘理の復興計画も決まった。多重防御の要塞みたいな街になるみたいだ。

来年は、仕事が忙しいし、工場の修復、それに伴って大きなお金がいるし、もっと働いていかないといけないし、
地元の住宅の再建、ほんと忙しくなる。実業団レースは出れるのは最小限のレースだけになるが、
仕事、家があってからこその実業団レースだけど、頑張りたい。
それと震災での影響の地元の復興は長期戦で、今からだけど、

また、地元に、震災前の様な、当たり前の日常がある街に戻ると信じています。